読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

極 -kiwamism-

Zakki Zakker Zakkest

建築様式の歴史から考察する現在のミニマリスト定義の必要性。アール・ヌーボーからアール・デコを経てモダニズムへ

ミニマリズム 考え方

昨日は台風で大荒れの中、ある人と飲んでいた。話の流れでミニマリストって言うのはなんだろうって言うのを問いかけてみた。いろいろ話したが、結論からいうと、建築の歴史と流れが似ている。と言うことであった。

ちなみに彼はミニマリストではない。しかし彼のいう言葉はまさにミニマリストの現状と似ていた。
家に戻り建築の歴史についてさらに調べてみた。自分自身はバウハウスが好きだ。だがアール・ヌーボーやらアール・デコを知ってはいるものの理解をしていなかった。

アールヌーボからアールデコを経てモダニズムに至った建築の流れ。それが現在のミニマリストを表すヒントになるのではないか。今のところはWikipediaや簡単な検索で出てきたページしか見ていないが、色々と面白い事が分かった。そこで簡単にではあるが考察をしてみた。

アール・ヌーボー

まずはアール・ヌーボー。アールと言うのは英語でArt。ヌーボーはNEW。つまり新しい芸術と言う意味。 

それまでのゴシック、バロックやロココ様式等の様式を取り入れつつも、新しい素材であるガラスや鉄を用いてる。デコラティブ(装飾)をふんだんに使用した装飾美術建築。20世紀初頭まではアールヌーボ様式が建築の王道であった。とにかく装飾するのが美しいと言う時代。自然の木・花・草等をモチーフとした有機的な模様や文様が贅沢に装飾されている。贅を尽くしたその様式は美術品とし見ても美しさや格好良さはたしかに納得出来る。

有名な建物としてはスペインのサグラダ・ファミリア。

Sagradafamilia-overview

 

アール・デコ

その後第一次世界大戦を境にして、より工業製品的な合理的なアール・デコ様式へと移る。装飾はするものの、よりシンプルな装飾へと変化していく。と言うのがアール・デコの流れ。
有機的な自然モチーフを排除し、幾何学的な模様を装飾する事になった。これにより大量生産が可能になる。デザインはより現代的になり、後のモダニズムに大きな影響を与える。

有名な建築でいうと、アメリカのクライスラービル。

Chrysler building- top

 

モダニズム

そして更に装飾を排し、ミニマルな流れを生み出したのがモダニズム建築である。アール・デコの流れから幾何学な装飾も取り払い、より直線的でシンプルな近代的建築が生まれた。この頃はモダニズムの提唱者である「ル・コルビュジエ」や【Less is more】の生みの親でバウハウスの校長を勤めた「ミース・ファン・デル・ローエ」が有名。

この頃は直線から生まれる空間が主流に。素材は鉄骨造や鉄筋コンクリート等の新技術が取り入れられる。アール・デコとくらべてマテリアルや空間デザインが重視される時代へと移り変わっていった。

装飾による美により生活を豊かにすると言う様式・思想から、住む空間としてのシンプルな機能美や暮らしを豊かにするという様式・思想に移って行った。

ただし、建築家によっては装飾を残す人もいた。その表現は様々な様式がある。ある種の定義と言うのいは現在のミニマリストのように曖昧な所があったようだ。

有名な建築はミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パビリオン

Barcelona mies v d rohe pavillon weltausstellung1999 02.jpg
"Barcelona mies v d rohe pavillon weltausstellung1999 02".
Licensed under CC 表示-継承 3.0 via Wikimedia Commons.

 

以上がアール・ヌーボーからモダニズムまでの流れ。この流れが現代とミニマリストの立場に似ていると思った。

特にモダニズムというのは突如にして新しく生まれた様式ではなかった事。過去に生まれた様式を見直し現代の技術で再構築したと言われている。これは先祖返りという見方も出来る。ミニマリストも新しく生まれたライフスタイルではない。むしろ大量消費社会に対する生き方を見直し、昔の暮らしを再定義したライフスタイルがミニマリストを生み出したのだといえる。

モダニズムもミニマリストもどちらも「空間」の概念を重要視している。。

下記はWikipediaからの引用。

モダニズム建築は20世紀になって突然生まれたものではない。建築を理念によって支えるという点は新古典主義建築において萌芽したものであるし、要求に則した建築を機能的に設計するというプロセスは、用途や要求などの諸要素に対応して様々な様式を採用するという19世紀の歴史主義建築の手法においてもみられる現象である。むしろモダニズム建築は、それまでの建築思想を拡張し、再構成することによって成立したと言える。単に装飾を省略するだけではモダニズム建築は成立しない。18世紀後期に相対化された歴史的様式の代わりに、普遍的な「空間」の概念が導入されている。
引用元: モダニズム建築 - Wikipedia.

 

物が溢れる消費社会からシンプルスタイル、そして更に無駄を省こうという流れがミニマリスト。

  • アールヌーボー=大量消費社会
  • アール・デコ=現代社会
  • モダン=ミニマリスト

建築様式の歴史に当てはめるとこうなるのではないか。
これは建築やデザインの歴史であって、今後時代の流れがミニマリストに向かうと言う予測ではない。ただ立ち位置が似ているという部分を参考にしてみた。
多少無理はあるかも知れないが構図としては似ているように思う。

1つ誤解がないように言っておくが、ミニマリストが至高だという考えは自分にはない。ライフスタイルの1つのカタチだと思っているからだ。

建築様式においてもアール・ヌーボー、アール・デコ、モダニズム。その全てに良さがあり趣を感じる。これはライフスタイルに置き換えても同じだと思っている。

 

更に調べていたら、モダニズム建築は当時多くの批判を受ける事となったのが分かった。その原因と言うのが実に興味深いものであったので紹介しておこう。

 

モダニズム建築が批判された理由

ミニマリストが抱える問題として、他者への定義の説明が挙げられる。その部分でもモダニズムと同じような状況が生じている。興味深い内容を見つけたので引用をしておこう。

モダニズム建築の良さは、一般に理解されにくい。例えば、「ミースのシーグラムビルやSOMのレバーハウスは、デザイン的にも機能的にもきわめて優れたモダニズムの超高層建築であるが、その優れた点をきちんと理解していないその後の建築家らが、表面的な物真似をして、平凡で粗悪な、四角い箱というだけの無味乾燥な超高層建築を作り続けたために、モダニズム建築は誤解され、批判ばかりを助長する結果となった」というような言い方をされることがある。これは、おそらく正しいことを書き記しているのであろうが、素人には、十分に理解できないところがある。その理由として、モダニズム建築のよさ、または、よいモダニズム建築とそうでないものとの違いを、単なる表層に限ることなく、機能や思想まで含めて、具体的に、具体例をもって、示さないからである。したがって、感覚的にしかモダニズム建築の良さが理解できない面があり、「この作品は、とても端整である」といったイメージの評価や抽象的な評価に留まることがある。この点については、建築家でさえ全ての点を理解できないことがあるのだから無理もないとする意見がある一方で、モダニズム建築の優れた点を素人にも判るレベルで具体的に示す努力を怠ってきた建築家や建築評論家への批判もある。
引用元: モダニズム建築 - Wikipedia.

特に思ったのは下記の部分なのだが、まさにミニマリストとが今行き着いている状況と同じなのではないかと思う。

優れた点をきちんと理解していないその後の建築家らが、表面的な物真似をして、平凡で粗悪な、四角い箱というだけの無味乾燥な超高層建築を作り続けたために、モダニズム建築は誤解され、批判ばかりを助長する結果となった 

ミニマリストは簡単に見えがちだからこそ、思想も考えもなく、格好良い!時代の先取り!? みたいな感覚で飛びつきやすい。
しかし、このような部分が1つのムーブメントとしてメディアで取り上げられ、話題として世間で注目される。
これでは知る機会があっても、子供のお遊びでしょと言うことで片付けられてしまう可能性は高い。何かを始めたり知ったりするきっかけとしては良いかも知れないが、思想もなく真似事では誤解を生み出してしまう。

しかし真似をする人だけを責める訳ではない。勧める側や発言する側にもその責任があると思う。次の部分が参考になる。

モダニズム建築のよさ、または、よいモダニズム建築とそうでないものとの違いを、単なる表層に限ることなく、機能や思想まで含めて、具体的に、具体例をもって、示さないからである。

ミニマリストも同じだと思う。何が良いミニマリストなのか悪いミニマリストなのかを示していない。人それぞれで片付けてしまう。これは自分も含めてであるが、ミニマリストと名乗るほぼすべての人が、ミニマリストが何かを具体的に示したり定義していない。

確かにこれでは他者から見たら何か分からないのも理解出来る。批判を受けるのも、理解をされないのもその原因があると言うことだ。

定義の必要性 なぜ必要なのか。まとめ

ミニマリストは人それぞれであり、様々なスタイルがある。確かに自分もそう思う。

だが考えてみてほしい。それは名乗る本人だからこそ言える事だと思わないか。もちろん自分も考えなければいけない。 

そこで定義のようなものを考えたりもしている。定義なんて必要ないと思うが、ミニマリストとは何か。人に説明をする時に本人自身が分かっていなければ、相手にも伝わらない。

そんな状況では、周囲の人間からは不穏分子に見えるのではないかと考えた。

ミニマリストって一体何をしてるの? 得体も知れない思想も分からない人間があちこちで声を上げていればそれは不気味だ。ミニマリストは安全だから平気ですよと言ってまかり通るものではないと思う。

皆に問いたい。実際に周囲に何か分からない事をしている人が居たら不安ではないと言えるだろうか? 

そう自分にも疑問を投げかけた時に、認め合いが大事と自分自身も言っておきながら、認められる為の努力はしていない事に気づいた。

それで認めてほしいと言うのはおかしな事だと感じたのだ。

自分はミニマリストが分かっているから良い。ただ、知らない人に説明をする必要があると思う。なんで説明をしないといけないのか? それは社会での共存の為だ。

そもそも定義がないからこそ多種多様な誤解から、ミニマリストって…と思われる部分はあると思う。(炎上等の件に対してではない)

それに対して、誰かから聞いたようなモノを減らしてうんぬんと、叫ぶだけでは思考停止も同然だ。

今こそミニマリストの定義とは何かを考えるべき時だと感じる。

1も10も同じミニマリストだ。ただ今の現状では一括りにして誤解を受けている印象がある。しかしそれは上にも書いたように当然の事だ。

あの人は違うこの人は違う。何が違う? 明確な違いと言うのは誰も分かっていないのだ。だから誤解を受けるのは当然。自分たち自身が理解していないからだ。

このままではミニマリストの発展も定着も望めない。その危機感が芽生えた。

ファッションや軽い気持ちでやっているのであればそこまで考える必要はないと思う。しかし今後1つの思想として文化として本当の意味での定着を望むのであれば、そういう人こそ定義を持ち説明をするべきではないか。

ミニマリストはこうあるべきだと言う定義ではない。ミニマリストはこうだと説明や主張をする為の定義だ。

武装する定義ではない。戦ったり責め合うために定義するのではなく、他者と認め合う為の定義を今こそ考えるべきなのではないかと思う。

自身もこの記事で明確な定義を示せてる訳ではない。定義する事の重要性を掲げているだけだ。だが、定義に向かって考えて行くと言う姿勢が第一歩になるのではないかと考えている。

全ての人がそうあるべきだと考えている訳ではない。もし同じ考えがあるのであれば一緒に考えていければ嬉しい。

それでは。